4.タイトルの付け方




みなさんは『タイトル』についてどのようにお考えでしょうか?
実は、タイトルというものは、撮った写真を『作品』に至らしめる重要な役割を担っているのです。


もちろん、『無題』として、見る人にテーマを自由に捉えさせ、
そのことによって無限の広がりと可能性を持たせる、と、いうやりかたもありですが、
具体的なタイトルをつけることで、
無題以上に写真の世界に広がりや、深みや、ストーリー性や、インパクトを持たせることができるのです。





被写体や撮影者の心情や言葉を語ったもの。


これらはつけやすく、またよくあるパターンですが、
ただの説明に過ぎない…と、いうことになりがちです。
ともすれば、アルバムの記録文句のようになってしまいます(それもありではありますが…)。


狙いがあって、それがみごとに嵌(は)まっていないかぎり説明文的なセンテンスでつけるよりも、 なるべく一言で(シンプルな言葉で)表したほうが被写体や撮影者の心情や状態が、より豊かに伝わる可能性が高いと感じます。

見る者に想像の余地を与えることで、より世界が広がるのです。

ただし、それは絵から受ける印象と一致していることが大切です。








 「 おねえちゃんの 」


うにっ、と、くねらせた足元の絵にこの一言を添えただけで、
被写体の表情や“思わず足をくねらせてしまった心情”がほのぼのとより膨らんで伝わってきますね。
「 お姉ちゃんの 」と、漢字で表さずに平仮名で「 おねえちゃんの 」と、表すことで、
被写体の幼さや、あんよのお肉のやわらかさが更にアピールされています。
幼い女の子の可愛らしい声まで聞こえてきて、見る者に愛おしさを感じさせずにはいられなくなりますね。






「 お帰りの時間です 」


たとえばこれが、「帰る時間だよ〜」だったらどうでしょう?
いえいえ、丁寧な言葉できちっと言われたからこそ男の子は遊ぶのを諦めなくちゃいけなくて、
だからこそますます名残り惜しくて、この絵に漂う甘酸っぱい感傷がよりしんみりと深みを増すのです。
更に言うならば、
「 お帰りの時間です。 」と、丸「。」がついていないのがいい。 「。」がついていないから、キッパリとし過ぎないやわらかさがにじみ出て、撮影者の少年に対する愛情が伝わるのです…


つまり、逆に言えば「、」や「。」は、使い方次第でその効果を発揮させることもできる、と、いうことですね。 それが次の例です。






「育て。」


「。」をつけることで、語気に確かさが出て、撮影者の強い願いと深い想いが伝わってきます。
コーションマーク「!」では言い放ち過ぎてしまう。
「。」でシッカリ留めるからこそ、被写体の(おそらく親の)言葉に重みをもたらせ、強い、責任感をも感じさせるのです。
そして、揺るぎない、大きな土台(=大自然であり、親の愛であり、)のもと、
健やかに逞しく育ってゆくであろう被写体の未来を想像させるのです。






「遅刻だ!いそげ〜」


この作品はまさにこのタイトルとセットで完成します!
おそらく誰にでも経験がある状況が瞬時に見る者の内によみがえり、
笑いを誘います。
そしてペダルを踏み込む足の指に、ますます力がこもって見えるのです(笑)






「 出 陣! 」


スパッとシンプルに言い切る!しかもこのワードで。
被写体のキリッとした表情とみごとにマッチしていて、
熱くたぎるような、それでいてどこか潔く心の澄んだ“女の子剣士の覚悟”がクローズアップされてきます。






「 母のしあわせ 」


この男の子を形容する言葉はいっぱい見つかるでしょう。
そしてこの男の子が言っていそうな台詞もいっぱい出てくるでしょう。
でも、それら全てが、「 母のしあわせ 」なのです。
この存在そのものが、「 母のしあわせ 」なのです。
この笑顔に見るもの…。 もうこれ以上の言葉はありません。。。


「 おねえちゃんの 」と、同様、「幸せ」ではなく「しあわせ」と、平仮名で表すことで、
“空気”をよりあたたかく、やわらかくしていますね。







客観的事実を語ったもの。


客観的事実、だからと言って、“単なる説明”になってはつまらないのです。 選ぶ言葉によって、ぐっとドラマ性が増すのです。


客観的な言葉は心情をダイレクトに表した言葉よりも突き放した印象がありますが、
実はより豊かに見る者から心象的な想像力を引き出す力を持っているのです…







「 夏の終わりのミサトっ子 」


“夏の終わり”と、きて、このミサトっ子のヨレヨレ感。
夏の盛りにどれほどこのミサトっ子が大活躍したかを物語っていますよね。


虫とり、あぜ道、川遊び、
木登り、かけっこ、西瓜の種飛ばし、
蚊取り線香の匂い、風鈴の音、etc...


昨今ではなかなか子供達が経験できない、自分の子供時代の夏の体験が蘇る人もいるかもしれません。
“子供時代の夏”にはおそらく万人共通の感覚的な記憶があり、
だからこそ誰もが“夏の終わり”という言葉にキュ…ッと、胸がやさしくしめつけられるのでしょう。


見る者の記憶や想像力を豊かに引き出すタイトルだと思います。






「 盛 夏 」


「真 夏」 じゃ、ダメなんです。
「夏真っ盛り」 でも、ぬるいんです。

「盛 夏」 と、いう、ガチッと硬い言葉だからこそ、
被写体が足の甲に受けている灼熱の日差しの痛いほどの厳しさを、見る者の皮膚により強烈に感じさせるのです。






「 東京タワーとぞうり 」


これは正に客観的事実です。


でも、なのに、“単なる説明”に陥っていないのはなぜでしょう。


まずこの絵を見て、被写体が見た目にもかなり高い所にいるのはわかりますが、
ここが東京タワーの展望台だということがわかるのはそこに行ったことがある人くらいでしょう。


誰もが高い物の象徴として知っている『東京タワー』 と、いう言葉に触れさせることで、
万人に、自動的に、もの凄い高さを想像させてしまうのです。
それによって被写体の不安げな表情がよりクローズアップされる効果が生まれるのです。


また、無機で、硬質で、巨大で、近代的なイメージの建造物と、
自然素材で、しなやかで、昔ながらのもので、可愛らしいイメージのミサトっ子と少女との比較が、
互いの存在感や魅力をより強調させるのです。


…まぁ、そのぉ〜、、、あと正直申し上げて、この作品の場合、
ぞうりが手や荷物でかなり隠れちゃっているので、
言葉にすることで存在に目を持って行かせる…と、いう必要性もあったかもしれません(笑)
でも、そういうのもテクニックです。
色んな意味で、見る者の心理的効果を生み出すタイトルです。







物語を生み出す発想


まずはご覧下さい。




「 深海都市 」


この作品のタイトルのつけ方の面白さは、日常のシーンを非現実的なシーンに持っていくことにあります。


タイトルを読むことで、よく見る夜の外灯のシーンが、まったく別の世界や異次元の世界にすら見えてきます。 素晴らしい発想力ですね。







タイトルのつけ方、まとめ。


タイトルは写真の絵の持つ表情をより豊かに感じさせたり、心理的描写を深めたり、
物語性を無限に広げる力があるということを感じていただくことはできましたでしょうか…?
同じ写真でもタイトルのつけ方で印象がまったく変わることがあります。


また同じ言葉でも、漢字、ひらがな、カタカナの使い分けで空気が変わりますよね?
敢えて英文や英単語にしてみたり(なるべく意味は添えて下さい-笑-)、
読点、句読点、括弧などの記号にも拘りが出てくるかもしれません。


想像力を駆使したり、一瞬の閃きをつかまえたり、
絵を見てからつけるのはもちろん、タイトルを決めてから写真を撮るのもありです。


タイトルは絵の性格を決定づけるものにもなり、


また、絵から物語を溢れ出させる呼び水にもなります。


何度も言うようですが、言葉で説明し過ぎないことです。


あくまでも、物語は絵から読み取らせるのですから。




よろしければ過去のみなさんの応募作品(昨年 一昨年)や受賞作品(昨年 一昨年)のタイトルを見比べてみたり、
試しに遊び感覚で違うタイトルをつけてみる…なんてことをなさってみてはいかがでしょう♪


もしもすでに作品をご応募なさった方で、このコラムを読んでタイトルを改めたいとおっしゃる方は、


『タイトル変更』という件名で、
「元タイトル」→「新タイトル」


と、いう形でメールにてお知らせくださいませ♪応募締め切りまで受け付けさせていただきます。

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